保険代理店ミワエンタープライズ

スタッフ

はじめまして弟の芳彦です。

三輪芳彦

はじめに

「保険の仕事を一緒にやらないか」
数年前、突然私にこんな事を言った人がいました。
相手は私の兄でした。
もちろん保険の事は全くといっていいほど知りませんでしたし、ましてや営業なんてした事もありませんでした。
非常に悩みましたし、今までの仕事も嫌いではなかった私でしたが、普段の私生活でも携帯電話でお客様と話をしている兄を見て何か 「カッコいいな」 と思っていました。

兄の誘いはけっして強い誘いはありませんでした。ドアを開けているが、中に入るのは自分自身の力で入る。

「自分自身で考えてみろ」

兄は何も言いませんでしたが背中でそう言っているように感じました。
調度その頃吉川英治の小説「宮本武蔵」を読んでいました。
武蔵は足にケガをしながらもなぜか断崖絶壁の山を登ります。

登山の目標は山頂と決まっている。
しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある
なぜかその言葉に惹かれました。

今の仕事を続けてもいい。
かなり厳しい世界である事はわかっていましたが、武蔵の姿と自分に重ねて(生意気ですね)「やってみようか」とこの業界に入りました。
時が過ぎるのは早くてこの業界入って10年以上、色々な人に会う事ができました。
少年だった頃の夢は山にこもって陶芸家であったのに随分違う人生になりました。
(ドラえもんになりたいとも思っていました。恥ずかしいなあ)

家族

何もない趣味

保険業界に入ったころです。上司に…
三輪君の趣味は何かね?
正直困りました。 人に言える趣味なんてありません。

小学校の「かけっこ」で1位なんてとったこともなく、中学校ではバスケ部でしたがレギュラーになった事もなく、
高校生の時はパソコン部で体を動かさない。はっきり言ってスポーツは苦手です。
はて、僕の趣味ってなんだ…??
お酒は弱くてろくに飲めませんし、タバコは煙が嫌いですし、賭け事が苦手なためパチンコもやりません。
普段、家にいるのが好きでドライブもしませんし、釣りも友人に誘われた事がありますが釣れたことありません(笑)。
結局、上司には「趣味はありませんね」と答えました。

後日ですが数年たって再び上司にお会いした時聞いたのですが、当時の僕に会った時の感想は、「こいつ大丈夫かな…」だったそうです(笑)
この業界で大事なのはコミュニケーション能力(どの世界も同じかもしれませんが)。
「趣味は?」と聞かれた時、細い声で「ありませんね」と答えたら確かに不安になりますよね。
少年のころは目立つのが嫌いで、ただ叱られないように生きていた気がします。
生まれは筑北村坂井(旧坂井村)。田舎です。
生まれてから自分で働く年齢になるまで我が家ではお小遣いは一切なく、たまに来る親戚から頂くお小遣いをコツコツとためマンガを買って読むのが好きでした。

我が家のルール

我が家の規則?なのか私の両親は子供のイベントに全く興味がなく七五三や鯉のぼりを上げたりしてくれたことがありません。
家は兼業農家で両親の昼間は会社勤め、夕方に帰ってきて農業という忙しさから、そんなことで構っていられるかいと思っていたかもしれませんね(笑)
この話を今、両親に話すと「何回もやってあげたじゃないか!!」という始末。こういう両親です。

親父は僕と真逆の人種でして、とにかくお酒が好き、人が好き。人とのコミュニケーションを正にお酒でとる時代。
夜中の10時過ぎに酔っ払った親父が意気投合した友人やらご近所さんを我が家に連れてきてまた一杯飲むわけです。
一番驚いたのは、当時の校長先生を連れてきたのが忘れられません。二人ともベロベロに酔っ払って、校長先生を相手に
「おめぇは酒が弱くてダメだ」と笑いながら話していた親父はスゴい。友人が多い。流石です。
ですが当時でも夜中にお客さんを連れてくるのはイヤでしたね。どんな日でも関係ありません。
風邪をひいていようが、クリスマスだろうが、誕生日だろうがお構いなし。我が家によく飲み仲間を連れてきて飲んでいましたね。
考えてみてください。滅多に食べられなかったクリスマスケーキを知らないおじさんが食べるわけです。当時ですから家の中で子供がいようが、 おじさん達はタバコをプカプカ、家の中はタバコの煙で真っ白。
貴重なケーキを食べられて、見たいテレビも「ニュースに変えろ」と言われてチャンネル権も奪われる。
益々僕は人が苦手になりました。

親父の休日はお袋には内緒でこっそりとパチンコへ。負けて帰ってくると機嫌が悪くてお袋と喧嘩。
なるほど、僕がお酒、タバコ、パチンコが嫌いなのは親父が原因なのかな、きっとそうに違いありません。
お袋は綺麗好きで、花が好き。親父から意外と怒られた記憶はなく、お袋からよく叱られていましたね。

当時の朝は掃除をやらされてから学校に行きました。
平日は玄関掃除。日曜日の朝は自分の部屋掃除と廊下のモップ掛けと玄関掃除。
少々時間がかかろうものなら大きな声で叱られました。それで今、僕が綺麗好きかと言われるとそうではなくロボット掃除機にお任せしてばかり。スミマセンお袋。

濃縮カルピスってありますよね。
我が家のルールでコップに注いだカルピスは必ず注いだ量をお袋にチェックしてもらうというルールがありました。
大概「多いよ」と言われて少し元に戻すことになるわけですが、皆さまはどうでしたか?

お袋のおかげでヒーローのようになった話を思い出しました。
小学校の遠足のお弁当ですが、周りの友達は全て「おにぎり」でした。
その中でお袋が作ってくれたお弁当はなぜか「サンドイッチ」
シンプルに卵サンドのみなのですが、男友達がほぼ全員、僕のお弁当を見に来ました。
ビックリした顔して友達は「なんだ?この食べ物は?」と言っているわけです。

今はコンビニでも気軽に買えますが、当時の田舎には黒船のような存在。
「なんだそれはウマいのか?どんな味だ?」と聞かれる僕は鼻高々に、何?知らないの?普段からこんなの食べてるよ、あげようか?」と生意気に言う僕。
目の前で一つのサンドイッチを奪い合う友達。その結果、地面に落としてしまうのですがそれでも奪い合う友達。
その時僕は一瞬だけヒーローでした、ありがとうお袋。

どんな子供だったのか

中学生になると兄と一緒にお小遣いを貯めてファミコンを購入し遊ぶことが増えました。
寝ても覚めてもファミコン、ファミコン。ファミコンがあれば幸せ、一生俺はコイツを離さんぞと思っていた僕…アホです。

母校の筑北中学校は変わっていて、床は絨毯、中庭は噴水、トイレの入り口は自動ドアでした。
相変わらず自分はネクラであったのは変わりがないのですが…。
僕の中学卒業式の時です。卒業式が終わり教室で担任の先生が一人一人に思い出を語りました。
「お前は誰に言われなくとも花に水をあげていたのを俺は見ていたぞ」とか「お前は後輩想いで優しかった」とか涙頂戴で先生が話すのですが、待ちに待った僕の番の時です。

「お前はバスケ部で、正直あまり上手ではなかったなあ。しかしよくオレの教員室に来てはタバコを吸うなとうるさかったぞ」

……これだけでした。
まあ褒められることをした記憶もありませんが、先生の三年間の僕の思い出はこんなもんだったのでしょう。
ネクラでしたからね。でも益々、タバコがキライになりました。

考えてみると小さい頃から一人で遊ぶことが好きだった気がします。高校生になってそろそろ自分は何になりたいのか考えなくてはならない時、 パソコン部だった僕はパソコンの仕事ができる人間になろうとまあ単純に思うわけです。
今では信じられないかもしれませんが僕が学生だった時代はパソコンを扱う人はネクラでオタクの象徴で女性には絶対モテない要素でしたよ。 パソコン自体、当時40万円位していました。

そんな中で人とそんなに関わらないですむ仕事…。実際にその後システムエンジニアとして就職しますが、人と関わらないわけにはいきません。
(当然ですが)一時期、千葉県に住んでいた時がありました。
中山競馬場が近くにあったこともあって、賭け事がキライでしたが同僚とお付き合いで競馬を初体験しました。
当時、ナリタブライアンという無敵のサラブレッドがいたのですが、僕が賭けた時だけ負ける。
後日、ビワハヤヒデという強い強い馬も僕が賭けたら競技中に足を骨折。ライスシャワーに賭けたら安楽死。
二度とやりません。才能がないです。

色々な人との出会いで

さて何の因果か、若い頃まで絶対になりたくないと思っていた営業の仕事を現在しているわけですが、
今、おかげさまでこの仕事をしていて友人から「お前、営業にむいてるわ」とまで言われるようになりました。
それでもかなりインドアな性格ですがこの業界に入って色々な人に会い少し変わった気がします。
こんな僕でも結婚できましたし、学生の時よりも友人の付き合いが楽しくなりました。
それでも休日に仕事の電話がなく、コーヒーに小さなスイーツを持って溜まったビデオを一気に見る。
つまり静かな一日を送る。これが私の趣味でしょうか。
ネクラで人見知りだった私もお客様に会う時は笑顔で!!とやり続けた結果、
お客様から沢山お仕事をいただけるようになりました。

日々駆け回る

営業の移動中、車の中で「山下達郎」や、松本人志の「放送室」をよく聴いています。
まわりの人達に「~で見かけたよ」とよく言われますが、何か考えている表情をしていたら「山下達郎」を聴いています。
笑っている表情をしていたら「放送室」を聴いています。

「山下達郎」は結婚式に流した曲なので思い出深いんです。放送室は全部で391話もあります。
松本、安曇野、塩尻、池田、大町、松川村、付近は駆け回っているので見かけたら お気軽にお声をお掛けください。
これからも宜しくお願い致します

お客様

お話